空手は武道としては禁止されなかった。禁止されたのは体操と武道一般

占領軍による体操と武道の禁止

 占領軍はガダルカナルや沖縄や硫黄島での激戦、戦闘機による特別攻撃隊、人間が操縦する回天魚雷など、これらは体操や武道がその根源ではないかと考えたらしい。極東アジアの黄色の猿に武道などやらせるべきではないと言うことで、武道を禁止した。しかし、空手は禁止されなかった。空手は武道ではないことを占領軍が知っていたことと、早稲田大学の大浜信泉総長(沖縄出身)の請願が大きかったようである。

 多くの人は、空手も禁止されたと誤解しているようだが、禁止されたのは空手以外の武道と、体操であった。体操については意外に思えるかと思うが、欧米では体操は盛んではなく、盛んに体操を行っていたのは、連合軍と対戦している三国同盟軍(日本、ドイツ、イタリア)の側、特に日本とドイツだったからである。

 今は体操は世界に普及しているが70年前はそのような状況だった。

 

 

戦争に負けて軍隊を廃止させられたのは日本だけ

 

 しかし、同じ三国同盟だった日本は武装解除され、ドイツやイタリアは武装解除されなかった。他の二国は白人国家で日本は黄色い猿だから、二度と白人国家に逆らうことがないようにと言うことで、軍隊は廃止、軍備は廃棄、憲法まで戦争放棄を規定させられた。

 

 これがとんでもない失敗だったことに気づいたのはアメリカで、朝鮮動乱で日本を武装解除したことがとんでもない間違いだったことに気づいた訳だが、後の祭りだった。アメリカや自由世界の敵は極東アジアの黄色い猿ではなく、赤旗に象徴される共産主義であることを知ることになった。

 

 これが日本に幸いして、その後は、日本人が戦場に駆り出されることはなくなった。これが今話題の憲法九条だが、それが制定され時、吉田茂首相は国民の間では大変不評だった。しかし、多くの日本人は「戦争に負けたのだから仕方がない」と諦めた。軍隊を失ったことは国家が滅亡したことを意味していた。

 憲法九条を守ろうなどと言う今の日本では考えられない状況だったのである。

 

 そこで困ったアメリカ占領軍が吉田首相に迫ったのは日本の再軍備だったが、今度は逆に吉田首相が抵抗した。そこで妥協の産物として生まれたのが「警察予備隊」そして後に自衛隊に変わった。これは事実上の軍隊で、当然憲法の九条に引っ掛かり、国家が持つ自衛権との絡みで、いろいろと強弁を続けているが、さっさと憲法9条を廃止してしまうのがもっともよい方法だろう。

 世界的に著名な作家「三島由紀夫」が、昭和45年に市ヶ谷の自衛隊駐屯地に入り、「自衛隊によるクーデターを促す」演説をして割腹自殺をして世間を驚かせたが、常識的には当然の論理だろう。空手の原理原則から考えて、「専守防衛」などはあり得ない論理であり、「攻防一如」「攻撃は最上の防御」が空手の原則である。

 船越先生の「空手に先手なし」は修技者の倫理を説いたもので、戦術や戦法を説いたものではない。国としての理念が専守防衛は結構だが、実際の軍備が専守防衛であってはならないことは論を待たないだろう。

 自民党の多数意見は憲法九条、特に戦争放棄の第二項の廃止だそうだが、そんな常識以前のことが公明党の反対が強い、国民投票で過半数を得られないかもしれない、などの理由で、自衛隊を盛り込むことで妥協するらしい。世界有数の武力を持つ自衛隊が軍隊ではないなどの屁理屈を続けることは、国民のモラルハザードに繋がりかねないのではないだろうか。